エルフェンリート レビュー 「乗り越えた先にあるもの」

 ※ネタバレ注意

 

積極的にオススメはできないが、グロ耐性があるなら絶対見るべきである。

 

目次

 

放映時期

 

2004年夏(1クール)

 

見始めたきっかけ

 

見るのがきつい作品とわかっていたが、避けて通るのは許されないと思った。

 

推しキャラ

 

坂東:自分の意にそぐわない者はことごとく暴行するサイコ野郎、ではある。ただ、与えられた任務や己の復讐を何が何でもやり遂げようとする点では一貫している。上官の命令を無視して自分の判断でヘリから地上に飛び降りたり、自分を殺そうとしたナナにもルーシーの情報提供を呼びかけたり、海に飛び込んだルーシーを追って自らも海に飛び込んだり。規律にとらわれず、私情は挟まず、命の危険を顧みず、目的に向かって愚直に邁進する様は感動的でさえあった。ナナのいたずらに引っかかった時の怒り方が、往年の残念キャラを彷彿とさせとても愛おしかった。

 

各話レビュー&考察

 

1話

 

如月の生首が静止していたのが、いわゆる不気味な絵を思わせ不安な気持ちを煽ってくる。ルーシーが大量殺害していた際流れていたのはオープニング曲の男声バージョン。荘厳さや抗いがたい業を感じさせる。

 

 

坂東というキャラクターが、後味の悪さを増幅している。ニューとの楽しい同居生活との対比で、殺戮の悲惨さがより増幅されている。

 

2話

 

江ノ島の風景が非常に綺麗である。植栽の葉一枚まで丁寧に描かれている。

 

坂東は相変わらず、部下がうるさいので銃で威嚇、無線で報告しようとした部下の無線を破壊、と粗暴の限りを尽くしていた。ルーシーに両手を切り落とされ目も潰されながらも生きていたのは非常に胸糞が悪い。

 

3話

 

オルゴールの曲を聴いたのが原因で突然ニューがルーシーになったり、コウタが泣きそうになるとルーシーが突然「コウタ」とつぶやき攻撃をやめたり、この回から最終話への伏線は仕掛けられていた。 

 

 

4話

 

ナナが手足をすべて落とされだるまになったのは衝撃的だった。

 

蔵間博士はナナを安楽死させるとき心底悲しそうだった。オープニング曲の男声版が流れ悲しみが演出されていたため、本当にナナが死んだと誤解してしまった。実はナナは生きているのだが、音楽まで使った巧妙なミスリードにやられた。

 

5話

 

マユの過去の場面で、オープニング曲のピアノ版が流れた。悲しい場面ではピアノ版、感動的な場面では同バイオリン版が使われ、逃れられない宿命のようなものを感じさせた。

 

マユの誕生日パーティーで、マユが本格的に家族になった。マユのためケーキを用意したパン屋さん、誕生日を祝うコウタ家の面々、人間の温かさが描かれている。

 

角沢教授がルーシーに殺された。本作品には珍しく、全面的に納得できる死だった。4話が悲惨だっただけに、5話の日常がより鮮烈に映った。

 

6話

 

 

4話で死んだはずのナナ。蔵間がこっそりあの海岸に逃がしてあげていた。

  

坂東がマユにピンチになったら連絡してくれ、と言った。坂東もしかして良い人、と思わせた。しかし、その人の良さもルーシー憎しの一念ゆえか。

 

ついに、ルーシーの記憶が戻ってきた。「ニューの居場所は楓荘」と聞いて表情を変えたルーシー。最終回の和解につながる重要なシーン。「コウタの妹、」と言いかけてニューに戻ったのは、まだコウタの妹を殺したショックが残っているからか。言いかけたセリフから、コウタへの罪悪感が感じられる。

 

ルーシーが脳に手を伸ばしてもマユが無傷だったり、ユカを突き飛ばしたが無傷だったり、力が弱まっていた。なぜか。おそらく、マユやユカを家族と思っているから無意識に力をコントロールしたのだろうか。

 

7話

 

ナナと坂東は戦いを経て共通の敵がルーシーと知り一旦和解した。「一人じゃ、立ち上がれないでしょ」とナナは坂東に手を差し伸べるが、なんと手が取れた。からかわれてしまった坂東はこれまでなら蹴りを入れていたはず。しかし、憎まれ口を叩いただけ。坂東が曲がりなりにも、ナナを仲間と捉えていたのが分かる。

 

バンドーが連絡先を渡す場面で、携帯電話という概念をナナが知らないと判明。クレープ屋での一件や、お金を燃やして暖をとったり、マユの嘘にあっさり騙されるあたりで、お金という概念も知らないと描かれている。ナナが明らかに異質な存在であることが強調されていた。

 

マユが深夜に犬の散歩に行ったのは、7号と出会うためとはいえ少々無理がある展開だった。

 

4話のダルマ画像が再登場したのは、手足を切り落とされても生き続けるナナの異質さを強調するためか。

  

8話

 

ルーシーとして目覚めたが、まともな反応を見せるようになった。記憶が完全に戻ってきているのか。そして、過去を思い出した。

 

頭にツノが生えていただけで、ガキどもにいじめられていたルーシー。養護施設の先生さえ、よく熱を出す上に誰も同室になりたがらないルーシーを疎んでいた。ともよは助けてくれたが、可愛がっていた犬のことをうっかり話してしまったのが悲劇の始まりだった。「黙ってて」の注意もむなしくガキどもに話してしまったともよ。結果、犬は花瓶で殴られ死亡。人間の悪意が、ルーシーの殺人能力を目覚めさせてしまった。ガキども三人及びともよは惨殺された。ただ、普通のガキなら犬を花瓶で殴るとは思い難い。ガキどもが元々そういう性格なのか、愛情不足ゆえに増大した攻撃衝動のせいか、愛されている存在への嫉妬なのか。愛されている存在への嫉妬は9話のルーシーもしていた。ユカもニューに嫉妬していたし、嫉妬は本作品のテーマの一つだろう。

 

犬の墓参りを終え、ルーシーは「ちょっと人と違うだけで、なんでいじめられなきゃいけないのか」と言っていた。ちょっと人と違うだけでいじめられる、日本の風潮を皮肉っている。ここでコウタが登場。

 

ともよが助けてくれた心温まるシーンでも暗い音楽が流れ続け、今後の展開を暗示させる演出がされた。

 

9話

 

コウタとルーシーの出会いが描かれた。コウタは、ツノをかっこいいと言ってくれた。初めてルーシーの忌まわしき特徴が受け入れられたのだ。鳴いているひぐらしが、ひぐらしのなく頃にを生み出す原動力になったのだろうか。美しい自然風景も、原動力の一つだろう。

 

生きるため、一家惨殺を余儀なくされるルーシー。食料確保の方法を他に知らず、元々持っていた殺戮衝動のためとはいえ業が深すぎる。ルーシーにコウタが「いとこは男の子だよ」と嘘をついてしまったのが、悲劇の引き金だった。コウタが女の子と抱き合っている。それを見て、もう一人の人格がルーシーを責め立てる。心理的に追い詰められたルーシーは、自分の意思とは無関係に周囲の人間を惨殺。血が付いているのを心配してくれた女性の首まではねてしまったのは、ディクロニウスという種の哀しさ、ひいては原罪すら感じさせた。

 

10話

 

殺されそうになっていた蔵間を鋼鉄弾で助けたり、実験体の処分を一手に引き受ける蔵間を心配したり、角沢教授の良い面が描かれた。

 

江ノ島でツノの生えた子供が大量発生したが、蔵間の子供もそうだった。蔵間はディクロニウスの危険性を説き子供を殺そうとするが、取り乱したショックで妻は危篤に。妻がいない隙に子供を殺そうとするが、そこに血だらけの妻が現れた。「子供だけは助けて」と言っていたのが、強烈だった。蔵間がナナを生かしていた理由がようやく判明した。

 

11話

 

ルーシーは、コウタの妹かなえの写真を見て動揺していた。コウタも、ルーシーを「ずっと前から知っていたような気がする」と言っていた。ルーシーだけでなく、コウタにも記憶が蘇ってきた。

 

坂東と蔵間が合流するが、坂東は男に対しては厳しかった。

 

12話

 

 

妹の死の真相が明らかになった。ルーシーがユカとコウタが抱き合っていると思い込んでいたのは、コウタ側から見るとユカがコウタに泣きついたシーンだった。単なるいとこを、ルーシーは恋人だと勘違いしていた。ルーシーは嫉妬に怒り狂い、電車内でコウタの妹と父を殺害。度々出てきた「もうやめて」は、そのあとコウタが叫んだセリフだ。

 

全てを思い出したコウタは、それでもルーシーの正体を知ろうとした。父と妹を殺害したのはわかっている。それでもコウタはルーシーを好きだった。

 

13話

 

坂東はルーシーに半殺しにされ、放置された。ルーシーを倒せないと悟った坂東は、多分死んだはず。35号との戦いで、ルーシーは耳の半分が取れた。一旦死んでいると思わせ、実は生きていたルーシー。研究員はルーシーを死んだと思い込み、35号を殺そうとする。しかし蔵間も来ており、彼は35号への愛を述べた。35号は、親の愛に触れ救済されたようだ。一旦研究員は起爆装置のオンを躊躇していた。命令に逆らうと長官に殺される研究員は起爆装置をオンにし、二人は死んだ。自分の娘である35号は救済され、ナナも生きている。蔵間にとっては最高のエンドだったと思う。

 

全てを知ったコウタはルーシーをそれでも許し、ルーシーに告白し、二人はキスをした。愛というより「哀」だろうか。その後ルーシーは特殊部隊の前に現れ、残った片耳も飛んだ。エンディングでルーシーらしき人影が映り、オルゴールは鳴り止み、時計も動き始めた。ここら辺の考察は後ほど。

 

一方、角沢長官にもツノが生えていた。暗い展開を予期させるため、手放しにハッピーエンドとは言い難い。

 

14話

 

ナナの謎の手が、高所の台所用具を取っていた。兵器の平和利用の可能性を示唆している。

 

中学生となっていたルーシーに、友達がいた。しかし、友達にニット帽を被せていたため、ディクロニウスと誤解された友達は結局死ぬ羽目に。友達を救う約束を果たせなかった蔵間に復讐を誓うルーシー。蔵間に関係する者全てを殺して極限まで苦しめてから殺す、と。ナナを執拗に攻撃した理由がようやく判明した。

 

レビュー&採点

 

・作画(キャラデザインも含む) 15点

・音楽(BGM、op、ed、挿入歌、se) 25点

・ストーリー(話数の配分等の構成、話の面白さ、脚本、展開) 30点

・人物(登場人物にどれくらい魅力があるか) 20点

・独自性(世界観や提示される概念など、何らかのオリジナリティがあるか) 30点

・メッセージ性(制作陣は作品を通して何を伝えたかったのか) 20点

 

作画

 

14点/15点

 

主人公宅周辺の背景、普通の住宅地なのにめちゃくちゃ綺麗に描かれている。その綺麗さとの落差で、惨劇の悲惨さがより引き立っている。一方、心臓がそのまま登場するシーンもあったが、線の書き込みが不足しており写実的とは言い難かった。あれほどの作画技術なら、真面目に書けばとことんリアルに書けたはず。もっとも、心臓をリアルに描いたらグロすぎてクレームが殺到しそうだが。

 

音楽

 

23点/25点

 

オープニング曲は、男声版やオルゴール版など様々な編曲を施され本編で多用された。何度も聞いているうち、その芸術性の高さに感動させられた。

 

エンディング曲はコウタに片思いしているユカの心情を歌ったと思われる。エンディング曲も暗かったら、完走は非常に厳しかっただろうな。曲調の明るさに救われた。ただ、歌詞は結構エグい。

 

ストーリー

 

30点/30点

  

ひたすら重くて暗いストーリーが続く。コウタと女の子たちとのドタバタハーレムの落差のせいで、ストーリーの重さ暗さ悲惨さがより一層際立っていた。ルーシーがコウタ家に来てから、ルーシーとコウタが愛し合うラストまでは基本的に一直線ではある。一方、過去の回想が多用されてもいた。過去の回想によって、ルーシーとコウタの出会いと別れの真相が徐々に明らかになっていく後半の構成は引き込まれた。1話から振り返ってみると、ルーシーとコウタの過去の断片が伏線として散りばめられていて、ラストシーンで綺麗に回収されているのが分かる。

 

ディクロニウスという存在の掘り下げを捨てて、ルーシーとコウタに物語の焦点を絞った試みは成功している。

 

人物

 

18点/20点

 

当初は、冷酷な人間ばかりだと思っていた。だが、過去の回想で意外な一面や止むに止まれぬ事情が明らかになるにつれて印象が変わっていった人物も多かった。現在と過去の両面から人物を描いていて、人物の多面性や変遷が浮き彫りになっていた。嫉妬や愛情不足、悪意といった人間の暗黒面を中心に描きながら、なんだかんだ良い人も多く制作サイドの人類への希望は感じられた。

 

独自性

 

30点/30点

 

後味の悪さ、グロさでは他の追随を許さない。最終回でコウタとルーシーが抱き合うシーンの感動は、この作品ならではだと思う。

 

メッセージ性

 

20点/20点

 

グロい惨殺シーンは、ルーシーのディクロニウスとしての哀しき宿命及び原罪の現れであろう。コウタとルーシーの熱い抱擁に始まる、一連のラストシーンに制作サイドのメッセージが詰まっているのは確かなはず。真のメッセージは、「自他の罪を受け入れた時、全てが始まる」だろうか。

 

総評

 

96点。非常に内容の濃い作品だった。一気に見るのは非常にきつかったが、2日に1話ペースだともっときついと思う。面白いし、引き込まれる構成ではあるのだが、1話見るだけでも相当疲れる。グロいシーン、心を抉るシーンは多かったが、頑張って最終回まで見た甲斐はあった。

 

最終回に関する考察 

 

コウタがルーシーを抱きしめたシーンは確かに感動した。ただ、コウタはルーシーを「愛していた」というより「哀していた」という方が正確な感じがする。初めてルーシーと会った時、角が生えているせいでルーシーが辛い人生を送ってきたとコウタは心のどこかで分かっていた。父と妹を殺したのも、悪意ではなく殺戮衝動を抑えきれないルーシーの原罪故だとコウタは薄々分かっていたのだろう。だから、ルーシーを哀れむことができた。その哀れみは、ニューとの同居生活を経ていつしか愛しさに変わったのだろう。父と妹の死の真相が思い出せないのに、ルーシーとの思い出を象徴するあのオルゴールを買っていることから、当時からルーシーを愛おしんでいたとも言えるが。

 

コウタは「ルーシーを許せない。」とは言っているが、それでもルーシーを抱きしめキスまでしている。すなわち、実質的には許しているのだ。そもそも、コウタが「いとこは男の子だよ」と嘘をついたのがルーシーが父と妹を殺した契機である。コウタが嘘をついたという罪は、ルーシーが父と妹を殺したという罪の親である。ならば、ルーシーの罪を許すということはすなわち、自分が嘘をついた罪をも許すということだ。あの場面がコウタによるルーシーへの許しであると同時に、コウタによるコウタへの許しでもあるのだ。

 

あの場面が感動する理由は、コウタがルーシーの罪を愛ゆえに許したから、以外にもある。 

コウタの告白にルーシーはキスで応えている。殺戮の日々を送りながらも、コウタへの愛は一貫していた。だからこそ俺は感動したのだ。

 

ラストシーンの考察

 

エンディングが流れている間、鳴っていたオルゴールは止まり、壊れていた古時計は時を刻み始めた。オルゴールは本作品において忌まわしき過去の象徴である。壊れていた古時計は、新しい生活の象徴である。忌まわしき過去は終わり、本当の人生が始まったのだ。門の人影は、多分ルーシーだと思う。過去は許され、過去の記憶を忘れる必要がなくなり、必然的にニューという人格も不必要になったからである。ルーシーはルーシーとして、過去の記憶を保持したまま新しい人生を送るのだろう。門前に現れた時点で、ルーシーはツノを完全に無くしている。外形的には普通の人間になっている。ディクロニウスを特徴付けるツノがなくなったのは、人間としての生活が始まるという暗示だと思われる。