俗・さよなら絶望先生 2話 感想&考察

思わぬ伏線に、痛烈な自己批判。絶望先生シリーズの人気の秘密がよく分かる回。

 

【まだ明け初めし前髪の】あらゆるモノを開いたペリーさんだが、絶望先生の心は開けなかった。絶望先生の心に入ってしまったが、深い穴に落とされ、戻ってきてしまった。最後、「これにてお開きです」とお決まりだが和風なオチが本作品らしい。プールにマリア太郎の尻が浮いていたのが、最高にシュールだった。たくさんある地蔵の顔がマエダックスだらけになっていたり、絶望先生の周りを揺らめくマエダックスが3人取り囲んでたり、ますますお盛んである。

 

【ティファニーで装飾を】とかく装飾過剰になりがちな日本の風潮を風刺している。ファッション、スタバ、ここイチ、アバターなどなど。マリア太郎はパンツと靴を履くと、調子が悪くなると判明。マリア太郎の異質さを端的に物語る特徴であり、ある意味では彼女が最も人間らしい存在であることをも物語っている特徴でもある。最後、靴を履いたマリア太郎は目が回っていた。校舎の壁にマエダックスがたくさん貼られているシーンは、自己批判にも思える。上から目線で各方面を皮肉っているのに好感度を保ち続けているのは、こうした自己批判の姿勢があるからだろう。

 

【新しくない人よ、目覚めよ】なんでも「旧」を付けたがる絶望先生の旧友の話。「旧」にステータスを感じるあまり、旧友はマリア太郎の紹介する日本国籍目当ての外国人とも結婚しようとしてしまう。オチは、旧友ではなく1日友、だった。糸色望を絶望と読ませる発想は今回のオチにも生かされている。1日だけ友達だったから名前を思い出せない、のも道理である。最初絶望先生が名前を思い出せなかったのが、実は伏線になっているという高度だが単純なギャグだった。

 

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