DEATH NOTE -デスノート- レビュー 「究極の頭脳戦」
※ネタバレ注意
天才高校生が名前を書くだけで人を殺せるノートを手に入れた、という設定の思考実験を映像化した作品である。
目次
放映時期
2006年秋(3クール)
見始めたきっかけ
正義とは何かや頭脳戦といった要素に惹かれた。
推しキャラ
松田:やたらとミサを気にするミーハーさや空気の読めなさ、エルから仕事をもらおうとするも直々にコーヒーのお代わりを頼まれる無能さ、それでも熱い正義感。イライラする一方で、共感してしまうキャラでもあった。それだけに、ヨツバでの活躍は興奮した。キラを憎む一方でキラに共感するあたり、正義感が強い故の葛藤を感じさせた。だからこそ、松田には強く共感するのである。
レビュー&採点
・作画(キャラデザインも含む) 15点
・音楽(BGM、op、ed、挿入歌、se) 25点
・ストーリー(話数の配分等の構成、話の面白さ、脚本、展開) 30点
・人物(登場人物にどれくらい魅力があるか) 20点
・独自性(世界観や提示される概念など、何らかのオリジナリティがあるか) 30点
・メッセージ性(制作陣は作品を通して何を伝えたかったのか) 20点
作画
15点/15点
原作は少年ジャンプながら、どこか青年誌をアニメ化したような雰囲気の作画であった。ビルの描写が妙に写実的というか近未来的である。特に、最終回のビル群の描写は芸術的でさえあった。同じく最終回、ガラガラの電車内でミサが一人座っているシーンの作画は最近のアニメと同等のクオリティである。倉庫や雨が降り注ぐビルの屋上など、陰鬱ながらも荘厳さを感じる作画だった。この辺り、同じマッドハウス制作の「テクノライズ」を彷彿とさせる。終盤に近づくにつれ、ビルを中心に作画は洗練されていった印象。
音楽
23点/25点
盛り上がる場面ではオーケストラ調の音楽が使われ、神の裁き感を見事に演出していた。アカギやカイジでお馴染みのタニウチヒデキと、平野がタッグを組み、それぞれの持ち味を生かしていた。頭脳戦では、タニウチヒデキの音楽が興奮を煽った。
ストーリー
28点/30点
ライトとエルの頭脳戦は極めてレベルが高く、次はどんな作戦を見せてくれるだろうかと毎回ワクワクさせた。デスノートの特徴がバレても、バレてしまったことを逆手にとって潔白を証明するなど胸のすく展開も多かった。頭脳戦だけかと思いきや、夜神月が完璧な演技で夜神局長やキラ捜査本部の面々を欺くシーンも多い。本作品は頭脳戦要素が主に取り上げられるが、ハードボイルドを感じさせるキラ捜査本部の面々やキラに対する人々の反応の変化が物語に深みを与えている。
一回見ただけでは理解しきれず、しかし巻き戻すわけにもいかず、不明点を抱えたまま視聴し続けたことも有った。なんとか理解できても理解するだけで精一杯、というのはキツかった。
人物
20点/20点
本作品が大ヒットした背景には、キラ捜査本部の面々の異様とも呼べる熱さがあったと思う。キラ捜査本部から外れてもパトカーを引き連れて火口逮捕につなげた相沢の執念、誰よりも正義感が強い故キラを憎みながら共感もしている松田、何度怪我をしても蘇ってくる夜神局長。夜神月やエルが魅力的なのは当然として、決して天才ではないキラ捜査本部の面々の奮闘は胸熱なストーリーをより一層熱くしてくれた。
独自性
30点/30点
本作品の魅力は、デスノートに名前を書き込めば人が殺せるという分かりやすい設定である。シンプルながら魅力的で興奮させる設定ゆえ、今や日本国民の大部分が知っているほど。難解で哲学的であるにもかかわらず、これほどまでの知名度と人気を誇っている作品は他にあるのだろうか。
メッセージ性
20点/20点
下記の、本作品に込められた真意を参照されたし。
総評
97点。極めてレベルの高い頭脳戦、とても面白かった。実は作画も非常に高レベルであり、特に影が強調されたシーンの作画は芸術的でさえある。ライトとエルの頭脳戦以外にも、キラ捜査本部のハードボイルドっぷりやキラに対する人々の反応など見るべき箇所は多かった。
本作品に込められた真意
まず、デスノートに名前を書くだけで人が死ぬ、という設定は人命軽視の風潮の現れである。魅上がデスノートに書き込む際、「削除」と叫ぶあたりも人命軽視の風潮を反映している。
本作品では、独裁というシステムの恣意性や危険性を、キラの暴走やキラに熱狂する一般人の描写で描き出している。もっとも、本作品の独裁はアリストテレスの哲人政治に近いため「哲人政治の脆弱性や危険性」といったほうが正しいとは思われるが。
キラは登場当初、ネットで「キラ様」と人気になる程度だったが、出目川の番組を起点にやがてはキラを法律とする政府も現れるほど浸透していった。キラのさじ加減一つで人が死ぬのはまさしく独裁ではあるのだが、今まで苦しめられてきた悪人たちの横暴を考えれば熱狂的な支持もやむをえまい。熱狂的な支持の危険性は、暴徒化した大衆のビル突入事件に止まってはいるが実際には作中以上に危険であろう。
キラ自体(夜神月、魅上ともに)は高い倫理観を持ち、保身以外の私利私欲は控えめである。しかし、魅上は能力がありながら社会貢献を怠る者を処刑しようとしており、独善的な側面を見せていた。能力の有無や、社会貢献への姿勢ははっきりした基準が皆無であるため、魅上個人の判断力がすべてである。魅上の好き嫌いによって判断が左右されるケースも出てくるはずだ。人の死が個人的嗜好によって左右されるのが、独裁の恐ろしさである。魅上の姿勢一つでその恐ろしさを表現したのは見事である。
一人の判断では判断の有効性を担保できない、という反省はPSYCHO-PASS という作品に活かされている。
キラのようなカリスマや独特の正義感を持った独裁者は、現実世界ではフィリピンのデュテルテ大統領を思わせる。強いリーダーを求める大衆の潜在意識は、キラのような存在を生み出すことがある。本作品の真意は、大衆の潜在意識の恐ろしさの周知であり、強いリーダーに頼る姿勢を脱却し各々が自立した個を確立せよ、である。