俗・さよなら絶望先生 5話 感想&考察

今回は主に、古くからある言い回しについて考察と検証が行われていた。

 

【文化系図】文化系体育祭なるものを絶望先生が提案。サラ金の借り物競争とか、ネットで応援合戦とか、当時の社会情勢を反映した出し物が多かった。体育会系文化祭も提案された。上手くデッドボールに当たったふりができるかを競う「演劇」は、カープの達川を思わせる懐かしいネタだ。文系理系体育会系になんでも分けようとするが、境界が曖昧になっている昨今なので上手くいかず。ニートと引きこもりの区別が話題になるあたり、今回も引きこもりやニートをいじりに来ている。結局、体育会系的な爆発オチだったのはオチに窮した印象が強い。

 

【私はその人を常に残りものと呼んでいた】「福袋の売れ残りは、残り物の残り物」と、絶望先生がネットの受け売りをしていた。絶望先生の口を通して、福袋専用の商品が入ってたり、事前に中身が公開されている最近の福袋事情が揶揄されている。オチは、女子大生が持ってきたカレーの残りを「残り物には福がある」と喜んで食べる絶望先生が、体調不良になって当初と同じく「残り物には福がない」と悟って終わりというもの。冒頭、女子大生がカレーを持ってきたのが伏線になっている。「残り物には福がある」という諺を疑う話であった。

 

【恩着せの彼方に】恩着せがましい昨今の風潮を風刺する内容。「携帯電話ゼロ円」とか、あなたのためとか言っときながら結局自分のためじゃないか、という結論はもっともである。恩着せがましさを修行で取り払ったつもりが結局取れてなかったあたり、恩着せがましさこそ人間なんだという諦めを感じる。マリア太郎が進行役を担っていた。加賀が「恩に着るよ」と言われて申し訳なくなってしまい、アドバイス通り恩に着るのを断ってみたら、ツンデレっぽくなっていたw恩着せをやめれば、ツンデレになるとは驚きである。武士道とはツンデレと見つけたり、は本質っぽい。

 

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